大学知名度が低く、前向きになれません。

東京での企業説明会に行くと有名私立大学の学生ばかりです。
自分の通っている大学は知名度がそこまで高くなく、なんとなく不安な気持ちでいっぱいになり、前向きに就活に取り組むことができません。
このままじゃよくないと思っていますが、どうすればいいかわかりません。

「良い大学出身=良い社会人」ではありません。

2020年度に、大学センター試験がなくなるそうです。
メディアによっては「150年ぶりの教育改革」と呼ばれたりしています。
鈴木さんにとっては、もしかしたら「自分はもう大学生だから関係ない」と思うかもしれません。

でも、実はこの教育改革にはとっても大きな意味が込められています。
教育だけの話じゃなくて、もっと大きな社会全体にとっての「メッセージ」なんです。
文章量の問題もあるので、細かくは調べてもらいたいんですが、なんで教育改革が実施されるかというと、答えはひとつ。

いままでの教育制度や評価基準では、これからの社会に役立つ人を育てられないから。

という話なんです。とっても簡単にいってしまうと。
だから変えなきゃいけないよね、という意識の表明なわけです。

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従来の「学歴」は、時代とズレている。

これは特定の大学が言っていることでもなければ、特定の企業、特定の地域で言われている話でもありません。
日本全体(つまり、グローバル社会で生き残る上)で、「いままでの教育じゃヤバいよね」って考えているわけです。
そうした問題について、日本全体において最も変化を嫌い、変化の遅い組織のひとつである政府や官僚さんたちが、そう言っているんです。
逆に言えば、世界の最先端でたたかっていて、世界に大きな影響や価値を与えている企業や組織は、とっくの昔にそんなことはわかっています。
それだけ従来の「学歴」には、疑問が投げかけられているんです。

とはいえ、就活においては「学歴フィルター」と呼ばれる仕組みがあるとも言われてもいます。
ただ、多くの企業にとって、その背景にあるのは、あくまでも「ある程度の頭の使い方が上手な人が多い可能性が高い」ことと、「いわゆる高偏差値大学のほうが、学生数が多いからアプローチしやすい」という2つの理由によって、採用活動が効率的になるからです。

企業にしてみれば、ただただ「会社や社会に価値や利益を生み出せそうな人」がほしいだけ。
そう考えた上で、とりあえず大学名でアプローチをしたほうが、(いまのところは)それなりに確率と効率が良さそうだから、そうしてる。

「何をもって憶えられたいか」を考えよう。

それとは別の話で。
「経営の神様」とも呼ばれている、ピーター・ドラッカーという人が言っています。

「自分は何をもって憶えられたいか」
彼は、これを自身に問いかけ続けることの重要性を説いています。

たとえば鈴木さんは、自分が「どの大学卒か」で憶えられたいですか?
たぶん違いますよね。同じ人なんて、おそらく何万人、何十万人といるはずです。
逆に考えれば鈴木さんにとって大事な人や影響を受けた人がいたとして、その人の学歴って、そんなに重要なことでしたか。
これも、たぶん違いますよね。

「適切な自信」が、魅力を引き出す。

鈴木さんは不安になっているかもしれませんが、社会はおそらく鈴木さんの想像ほど「学歴」だけで評価されているわけではありません。
そういう意味で、ぼくが考えるいちばんの問題(というか解消しておきたい不安)は、そういう環境の中で、ただただ「学歴」にコンプレックスをもってしまったり、入学時の偏差値や知名度が低い大学であることに不安を感じたりすることで、自信をなくしてしまっていることです。

適切な自信をもつだけで、その人の魅力は大きく変わる、とぼくは考えています。
その自信のよりどころに「学歴」をおくのか、それとも他の何かをおくかで自分の言動も変わるんじゃないでしょうか。
ぜひそれを見つけてほしいな、と思います。

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ジョーカツスペシャルアドバイザー光城 悠人

光城 悠人

立命館大学卒業後、エン・ジャパン株式会社に新卒入社。企業の採用・教育・評価分野において、営業・ライター・クリエイティブディレクターとして7年間従事する中で、株式上場、新卒向けナビサイト[en]学生のための就職情報の立ち上げなどを経験。同社退職後、学生が新しい価値観に出合えるコミュニティの実現を目指し、2008年に京都で猿基地を開業。年間を通して学生とかかわる中で、新しい就活手法としての「就活ゲーム」を構築し、書籍やブログ、講演等でその普及に努めている。

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